レビュー/企業内大学は働く人の学びの場になれるか――社内研修を成人学習から考える

企業が研修講座を増やしても、それだけで人材の能力が高まるわけではない。従業員が学んだ内容を自らの経験と結び付け、実際の仕事で使い、さらに別の職場でも「自分にはこの技能がある」と説明できるところまで到達しなければ、会社に残るのは受講履歴だけだからだ。

リスキリングや人的資本経営への関心が高まり、「企業内大学」を設置する企業も珍しくなくなった。しかし、重要なのは大学という名前でも講座数でもない。企業内大学を「会社が社員に教える仕組み」から、「働く成人が経験を能力に変える仕組み」へ転換できるか。2026年9月に公表された成人学習研究は、この問いを考える材料を提供している。

いま企業に問われているのは「何人学んだか」ではない

日本でも人的資本経営は、単なる人事施策ではなく経営課題として扱われるようになった。金融庁が紹介する人的資本開示をめぐる投資家の意見でも、経営戦略と人材戦略の連動や、戦略と指標・目標を結び付けることの重要性が指摘されている。さらに、事業戦略ごとに必要となる人材数やスキル構成を定量的に示すことを求める意見もある。

つまり、「年間○万人が研修を受講した」「一人当たり研修時間を○時間に増やした」という数字だけでは、人への投資を十分に説明しにくくなっている。

問われるのは、その教育によって何ができる人が増え、その能力がどの事業で使われ、企業価値にどう結び付くのかである。

企業内大学も同じだ。受講者数や修了率は運営状況を測る指標にはなる。しかし、それだけでは教育の成果を測ったことにはならない。

企業内大学を成人学習から組み替える

2026年9月11日に『Journal of Adult and Continuing Education』でオンライン公表された研究「Reconceptualising the Corporate University Through Adult Learning Theory」は、インドネシアの小売市場を念頭に、企業内大学を成人学習理論から再構成する概念枠組みを提示した。

研究が注目するのは、従業員を会社から知識を与えられる「研修受講者」としてだけ扱わないことである。

成人には、それまでの仕事や生活で蓄積した経験がある。何を学ぶ必要があるかについても、学校教育の児童・生徒とは異なる判断を持つ。そこで企業教育にも、既有経験との接続、自律的な学習、実務への応用、学習者中心の設計を組み込む必要がある。

研究はさらに、企業内大学に「二つの目的」が存在することを示唆する。一つは当然、企業の戦略遂行に必要な人材を育てること。もう一つは、学習成果を資格や能力として社会的に説明できるようにすることである。

この二つは似ているようで違う。

例えば「自社の販売管理システムを操作できる」という能力は会社にとって重要でも、そのままでは社外で通用する技能として説明しにくい。一方、「顧客データを分析し、需要予測を行い、販売計画を改善できる」と整理できれば、より一般化された職業能力になる。

企業内大学に必要なのは、この「翻訳」ではないだろうか。

「会社で役立つ教育」と「本人に残る能力」は両立できる

ここには企業側から見ると一つのジレンマがある。

せっかく費用をかけて社員を教育するなら、自社の業績向上につながってほしい。しかし、どこでも通用する能力を身につけさせれば、社員が転職しやすくなるという懸念も生じる。

だが人的資本経営を考えるなら、この二つを対立させる必要はない。

むしろ「この会社にいれば自分の市場価値が高まる」と社員が感じられる環境そのものが、人材を引き付ける条件になり得る。企業が人材を囲い込むのではなく、人が成長できるから結果として選ばれる会社になるという発想である。

企業内大学は、そのための重要な装置になり得る。

社内固有の知識だけを教える「研修センター」と、個人のキャリア形成まで視野に入れた「大学」の違いも、ここにある。

働く成人には「学ぶ時間」だけでなく「使う場所」が必要

同じ2026年9月に『Adult Learning』で公表された論考「Regulating Under Uncertainty: Insights From an Adult Learner’s Doctoral Journey」は、成人学習者が不確実な環境のなかで学ぶ経験を扱っている。

博士課程の成人学習者を扱った論考であり、企業研修の効果を検証した研究ではない。この点は分けて考える必要がある。

それでも企業教育を考えるうえで重要な示唆がある。

働く成人は「仕事をしながら学ぶ」。仕事、家庭、学習の時間を自ら調整しなければならない。会社が大量のオンライン教材を用意して「好きな時間に学んでください」と言うだけでは、自律学習を支援したことにはならない。

そこで企業側には二つの設計が必要になる。

一つは、学習する時間を確保すること。もう一つは、学んだことを実際に使える仕事を用意することである。

例えばデータ分析を学んだ社員が、修了後も従来とまったく同じ業務を続けていれば、技能は定着しにくい。研修終了後に小さな分析プロジェクトを担当させる、上司との面談で学習成果の活用方法を決める、社内公募によって新しい職務へ挑戦できるようにする。教育制度と人事制度をここまで接続して、初めて「学び」が「能力」に変わっていく。

企業内大学のKPIを変えてみる

この考え方に立てば、企業内大学を見る指標も変わる。

従来型の「講座数」「受講者数」「修了率」「満足度」に加えて、①修了後に学んだ技能を業務で使用した社員の割合、②学習後に担当業務や役割が変化した割合、③社内公募や異動につながった割合、④外部資格や一般的な職務・スキル分類との対応、⑤学習前後で担当できる仕事がどう変化したか、といった指標を追うことが考えられる。

さらに経営側では、その能力がどの事業戦略に必要なのかを明示する。

「AI研修を5000人が受講した」ではなく、「営業部門で必要なデータ分析人材を300人から600人へ増やし、そのうち400人が実案件で分析業務を担当した」となれば、人材投資と経営戦略との関係ははるかに説明しやすい。

2026年の人的資本をめぐる議論とも、この考え方は相性がいい。経済産業省の「SX銘柄2026」でも、人材戦略の構築や人的資本への投資は多くの応募企業ですでに実施されている。次の競争は「投資しているか」ではなく、「その投資をどう事業の変化につなげたか」に移っていく可能性がある。

研修履歴ではなく「能力の履歴」を残す

企業内大学を本当に大学らしいものにするなら、最終的に残すべきものは受講履歴ではなく「能力の履歴」なのかもしれない。

何を受講したかではなく、何を学び、それをどの仕事で使い、何ができるようになったのか。それを本人、上司、人事の三者が確認できるようにする。

さらに外部資格や一般的な職務記述と対応させれば、本人は社外でも自分の能力を説明できる。

一見すると、それは会社が社員の転職可能性を高める仕組みにも見える。しかし逆に考えれば、「ここで働けば能力が蓄積される」と実感できる会社は、働く人にとって魅力的な会社でもある。

企業内大学を持つこと自体は、もはや差別化にならない。

これから問われるのは、企業戦略に必要な人材を育てながら、そこで働く人にも持ち運べる能力を残せるかである。

「何人に教えたか」から「何ができる人を何人増やしたか」へ。

企業内大学を成人学習の視点から見直すことは、研修制度の改善というより、人的資本経営そのものを一段具体化する作業だと考えられる。

参考資料・原典